京都市立芸術大学大学院美術研究科
デザイン学特論 ゲスト講義シリーズ
プールリバー


講師:

青柳菜摘


タイトル:

生きものと暮らせない世界で

日時:

7/5(木) 13:00-14:30

場所:

中央棟3階 L1講義室

略歴:
アーティスト。ある虫や身近な人、植物、景観に至るまであらゆるものの成長過程を観察する上で、いかに記録メディアや固有の媒体に捉われずに表現することが可能か。リサーチやフィールドワークを重ねながら、作者である自身の見ているものがそのまま表れているように経験させる手段と、観者がその不可能性に気づく手法を作品に取り入れようと探究している。2014年、東京藝術大学大学院映像研究科メディア映像専攻修了。近年の活動に「冨士日記」(NADiff Gallery / 2016)、「孵化日記 2011,2014-2016」 (NTTインターコミュニケーション・センター [ICC] / 2016)、2018年2月の第10回恵比寿映像祭に出展予定など。「だつお」というアーティスト名でも活動している。

http://datsuo.com


以下、青柳さんをよりよく知るための引用・リンク集です。
履修している学生は事前に目を通してください。


第12回 青柳菜摘「san kaku no suki ma」 カニエ・ナハ – 「詩客」今月の自由詩


かんがえたら、わたしだって2つの名前をもっていて、青柳菜摘さんもだつおさんというもう1つのお名前をもっていて、気づけば誰もが名前を2つか3つか4つくらいもっていて。ところで「san kaku no suki ma」という作品のさいごには日付が記されていて、「2017年5月24日(土)」、そのちょうど1年後の2018年5月24日(木)の深夜に、私はポータブルDVDプレイヤーで、録画した映画を観ていた。海岸に何万個もの地雷がいまだに埋まっていて、少年兵たちがそれを撤去させられている。見はじめて数分間でこれは神経がとてももたないな、と見切りをつけて、私はDVDの早送りのボタンを押して、あとは2倍速で見つづけた。おかげで軍曹が期待したのよりもだいぶ速い速度で地雷は撤去されていったけど、ときどき暴発して、私とは関係のない少年たちが、信じられないくらいの速度で、粉々に砕け散った。
(カニエ・ナハ) 


青柳菜摘『黒い土の時間』を読んだ


この小説にふれて息を吹き返した気持ちや感覚を自分の観察箱の黒い土に埋めておこうと思った。
(田中孝太郎)


青柳菜摘「冨士日記」 – NADiff


青柳が「メタドキュメンタリー」と表明する「メタ」は、記録を見直すことを通じて行われる記憶の検証だろう。記録を記憶へと引き寄せる編集作業、ナレーションの挿入、ドローイング等の追加は、メディアの変換による「らしさ」の往還を作りだすべく、後から後から、バックミラー越しに痕跡化をはかる営みだ。
(松井茂)


アートにおいて自律する仕組みをつくる意味とは? 北区王子「コ本や honkbooks」インタビュー | KYO-SHITSU


スムーズなページ送りができない、という引っかかりを与えることで、映像のカットに似た効果をもたらすことができるのではないかと。映像作品をビジュアルとテキストに分解し、再構成する形で映像の書籍化を試してみました。作品ごとに適したアーティストブックを制作することは面白い経験で、今後も続けていきたいです。本屋ということで、自分の制作を拡げるリサーチ資料も多く、制作や作品のドキュメントとしても影響を受けます。
(青柳菜摘)


孵化日記 2014-2015


人間や自然それぞれの営み、その中で生起する「メタモルフォーゼ」
(四方幸子)


自分はこの作品を見るまで、カメラをズームをしたり、近づいたりしても、見かけのサイズは大きくなるけど、対象そのものは決して大きくはならないということの意味を考えたことが無かった。そのようなところから改めて自然、あるいは身近なものごとを見つめることで、パリパリと音を立てて関係性が生まれ直し、世界が組み立て直されるような、そんな瞬間をすくい上げているように思う。
(渡邉朋也)


同じ瞬間を少し遅れて映したり、片方が見逃したもっと些細なところまでを見届けたり、少し後ろからの見え方を映したりしながら重なり合う二つの画面は、羽化の後に残ったさなぎとさなぎになろうとする蝶、妹のお誕生日と山のなかの虫のお葬式、過去の妹と話者と現在の妹を同価に映す。流れるピアノはだんだんショパンのノクターンになっていく。やがてひとつの曲が終わり、次の曲がはじまる。この瞬間にも世界がほんの少し変化している。待って、と手を伸ばしても、届かない。この瞬間は、こうして、生になっていく。
(馬定延)