京都市立芸術大学大学院美術研究科
デザイン学特論 ゲスト講義シリーズ
プールリバー


講師:

山峰潤也

タイトル:

アートが映し出すメディアと技術、そして現在

日時:

6/21(木) 13:00-14:30

場所:

中央棟3階 L1講義室

略歴:
水戸芸術館現代美術センター学芸員。
多摩美術大学造形表現学部映像演劇学科卒業。東京芸術大学映像研究科修了。文化庁メディア芸術祭事務局、東京都写真美術館、金沢21世紀美術館を経て現職。
主な展覧会に「3Dヴィジョンズ」「見えない世界の見つめ方」「恵比寿映像祭(4回-7回)」(以上東京都写真美術館)、「Aperto04 Nerhol Promnade」(金沢21世紀美術館)、「ハロー・ワールド ポスト・ヒューマン時代に向けて(水戸芸術館現代美術センター)」。ゲストキュレーターとしてwaterpieces(2013、ラトビア、Noass)、SHARING FOOTSTEPS(2015、韓国、Youngeun Museum of Contemporary Art)、Eco Expanded City(2016、ポーランド、WROセンター)などに参加。2015年度文科省学芸員等在外派遣研修員。2016年より日本美術オーラル・ヒストリー・アーカイヴ・メンバー。金沢21世紀美術館研究紀要「R 06/2016 特集=アーカイブ」を鷲田めるろ(金沢21世紀美術館学芸員)と共同企画・編集。Asian Art Award 2017 supported by Warehouse TERRADA選考委員など。

 


以下、山峰さんをよりよく知るための引用・リンク集です。
履修している学生は事前に目を通してください。


水戸芸術館『ハロー・ワールド』展 テクノロジーが作る未来を問う


この十数年でメディアアートは決定的にショービジネスや技術のプロモーションツールになってしまった。そうしたなかで今回の展覧会では、技術革新の負の側面にも触れながら、これからの人間がその環境においてどう生きるのかを問いかけるアーティストを紹介したいと思ったんです。


僕がずっと持っているテーマは、個人があらゆるバイアスを超えて自由でいられるか、ということです。


アーティストと付き合っていて思うのは、彼らがとても誇り高い人たちだということです。彼らには、資本や政治のバイアスに無批判に従いたくないという強い意識があるんですね。その拒否感が「知りたい」ということにもつながっていて、リサーチと想像力を駆使して作品が作られている。
アートというフォーマットの面白さは、事実とそうでないものを等価に扱えることです。今回の参加アーティストたちは、フィクションやアイロニーを交えながら現実とのあいだに距離を生み出し、見る人に想像させている。だから一見ポップだけど、よく見ると、深い社会への投げかけもあり、幅広い議論の場を作り出しています。


霧の彫刻とビデオ・アートからみる、アーティスト 中谷芙二子に通底する哲学


今新しく生み出されようとしている技術革新がもたらす便利さや快適さもこのトレードオフを促し、人々を消費という経済システムにより強くくぎ付けにする働きを生じさせる可能性がある。こうした資本を中心とした社会構造からは、マスメディアと視聴者の関係と重なる支配構造を推し量ることが出来る。中谷は、テートでのインタビューの際に、最も不快に感じる振る舞いとして「傲慢さ」と答えている。中谷は自分にも当てはまる人間元来が持つものとしてその言葉を挙げていたが、自然にせよ大衆にせよ、それを支配しようとしてきた人間の振る舞いに対しても強く向けられているのだろう。


アーカイブ的芸術: 混沌とした時代の作法


一つの イメージを識別するための固有性が奪われ、その集合の一部としてしか存在し得ない以上、個別の資料の集合であるアーカイブとは本質的に異なるため、不可分な一つの塊として見るほうが妥当だ


リゾーム的、あるいはランダムアクセス、あるいは参加性という観点


インターネットを一つのアーカイブとして捉えたときに、無尽蔵に増殖する情報に対して、検索エンジン独自の アルゴリズム、ルールに従って見ていく以外に術がない。従って、その検索方法自体が一つの権威になり、飽和した情報のブラックボックスは日々拡大している。


この混沌を生きる私たちが、その中の清濁を併せ呑むまま生きてゆくことができるのか、はたまた、審美性を求める物語の作法へと回帰するのか


芸術という世界の広大さを考えたときに、その知的なレトリックのみが先行しそれ自体に終始していくことになるとすれば、その方向に対して再考を促す反動のような表現に期待したくなる。


新進作家から見る デジタル時代における身体とその思考 〜表現の時代背景から〜


現在のテクノロジーは、プログラム言語を理解 しない者にとっては完全にブラックボックスと化している。そのた め、そのような人々はシステムを運用する側のモラルを信用するしかない。今後、デジタル技術に依存しながら生きていかざるを得な い人々とデジタル社会のインフラを作る側とのデジタルデバイドは 確実に進んで行く。


時代への従順なリフレクションともがき


デジタル技術が常にそばにありながらも、物質性にこだわり、自身の内面や行為への深い思索を試みる姿勢


早期危機発見装置としての芸術


芸術にはあらゆる既存の価値観から離れる自由、そして経済原理や同調圧力に屈せず、異なるパラダイムを切り開く可能性がある。


オルタナティブな、あるいはカウンターとしての芸術のあり方は、日進月歩で進歩する技術の前で撤退戦を強いられている。その中で何を残せるのか、それを模索し続けることが芸術に課せられた問いの一つではないだろうか。